2026年2月11日水曜日

無限ループの愉悦

このあいだ横浜へ行った時にタワーレコードでたまたまギタリストのマヌエル・バルエコのCD11枚入りボックスセットを見つけて、四千円弱と安かったので購入した。前からこのギタリストのCDを1枚持っていて好きで何度も聴いていたので、未知の11枚の音世界に期待したのだった。今、とっかえひっかえ聴いているが、何がどうとはっきりした話は難しいのだけれど、お馴染みのギター曲のレパートリーをしっかりした演奏で次々に聴いていくのは心地よい。アルベニス、ロドリーゴ、ソル、ヴィラ・ロボスなどなどギター曲の作曲家にまじって、ビートルズ、バッハとモーツァルトも重要なレパートリーとなっている。クラシックギターの音楽世界はこうして見渡してみるとかなりいろいろで、飽きずに延々と聴いていられる。11枚もあるので、またかという感じにはならず、これだけを繰り返し聴いていても問題なく、無限ループが可能だ。

そこから出ることなく延々とループして飽きないということでは、話が音楽から逸れるが、住む地域についても言えるかもしれない。狭く限定された範囲にいろいろ店や施設や自然があってその中だけで暮らしていて十分楽しいという地域は幸福度が高そうだ。とはいえ首都圏のようにあまりごみごみしすぎていると逆にそのことが嫌になってくるという可能性もあるが。

個々の歌手では、その人だけ聴いていれば十分という話にはなかなかなりにくい。「みらいらん」17号で取り上げたポール・サイモンなどは、初期のデュオの世界、ワールド・ミュージックの時代、映画やミュージカル関連の楽曲、人生の晩期を思念する詩と、多彩さがあるから相当可能性が大きい。しかし歌は男声と女声があるので、男の声ばかり聴いているとやがて女性歌手を聴きたくなり、そこで無限ループが破れることになる。

作曲家単位で言えば、ベートーヴェンとかストラヴィンスキーとかは重すぎたり個性的すぎたりして不適だろうか。やはりバッハやモーツァルトが一番の無限ループ候補になるだろう。しかし彼らは十九世紀以降の芸術家的作品概念とは違った姿勢で創作していた節があるから、曲数が多すぎてダメ、という贅沢な問題も生じてきそうだ。聴いても聴いても一巡目が終わらず、途方に暮れる。こじんまりした中での親密さも要点かもしれず、そうなるとショパン弾きがショパンばかり弾いているとかマーラーファンがマーラーの交響曲だけで無限ループしているとかのが、やや病的だがユニークに濃い愉悦が得られそうだ。

人間の愛憎も範囲が狭くなるほど無限ループのエキセントリックな蜜が濃厚になるのかもしれまい。

ある程度狭いエリアでの健全で満ち足りた無限ループ……が望ましい?

(池田康)


追記

CD付属の冊子によると、マヌエル・バルエコは1952年キューバ生まれ、10代の時にアメリカに移り、プロの音楽家の生活を始めたとのこと。

0 件のコメント:

コメントを投稿